人が店をつくり、店が街をつくる

盛岡を歩いていると、個人経営の店舗が比較的多いなと感じました。更に喫茶店も多い。
時代が止まってしまうことなく今も変わらず地元の方々に愛されているような店から、この10年以内に開店して既に地域に根ざしているような店まで様々。
ただお茶を飲む場ではなく、店主さんの”ひととなり”が感じ取れる「個性的な店」が目立ちます。戦前〜戦後まもなくの店も多々あり、なんというか盛岡は「ハイカラ気質」だったのではないでしょうか。「◯◯でJAZZを聴きながら・◯◯でシャンソンを聴きながら、珈琲を飲むことがお洒落だった」という声が聞こえてくるようです。

どの店も建物の佇まいからして店主さんの顔が見えて、品揃えや味わいも考えられていて、中途半端なところがないのです。スミまでさりげなく神経がゆきとどいている”こぎれいさ”からは「こころ」が伺えます。それは実直な姿勢であり、客をもてなす静かな空間を作り出しているように思えました。
客側もそれをわかっているようで、「今日の自分に合う」好みの店へ向かっているように思えました。友人とお喋りのひとが多い店、店の人と話に来ている人がいる店、ひとりで過ごす人が目に付く店。どの人もその店に馴染んでいるのです。ある店ではBGMのなかにお喋りが溶け、会話する人々は風景となっているし、またある店では静かに物思いに耽る人を邪魔するように声高に喋るひとはいないし、白いカーテンがそよぐようにBGMが流れているといった具合に。
東北の盛岡といえども、滞在中は灼熱の暑さで30度を越す日々でした。そんな中とにかくグルグル歩いていても、ふらっと入ることの出来る喫茶店がほうぼうにあってウレシカッタ。どの店も居心地が良かった。それは街の空気そのものだった。やっぱり喫茶店ってその街を写しだすなあ。

自家焙煎珈琲店


並ならぬコダワリと愛情を感じるけれど、こちらに無理強いはしない。でも足を踏み入れると深く深くまで進んでしまう、そんな店。ここの珈琲、とっても美味しかったなあ。


じっくりと珈琲に向き合いつつもストイックなところはなくて、あくまでも客に開かれている空気があった。コダワリの自家焙煎珈琲を味わう人も、普通の喫茶店として向かう人も、おいしいプリンを食べに行く人も、いろんな人を迎え入れている穏やかな店内。


ドアの色のブルーグレーからわかるようにインテリアも素敵で、BGMはシャンソン、銅版画家でもある店主さんのコダワリが伺える。この空気の中にひとり、身を浮かべて珈琲を味わいたい、そんな店。

音楽喫茶


ソウル〜ジャズ中心にかかる音楽も、映画やらオモシロ本やらムツカシイ本やら王道から外れた漫画やらがビッチリ棚に詰まってたり、ホットサンドにスペイン料理にリキュールがけシャーベットなどのメニューも全てが素晴らしくって、静かに興奮。店のおにーさんがいいキャラ。


半年前にオープンしたという「プログレ喫茶」!ぎゃー!ここは高円寺…?なインテリアも泣けるけど、店のひとがすっごく一生懸命に好きなものを貫いている姿もよかったなあ。

音楽喫茶があるくらいだから、レコ屋だって!


rock全般〜特にNWが充実してて、ハコを探るの楽しかったー!ざっくりドカッとおいてあるんじゃなくて、こんなのもありますぜ的なラインナップでウキウキ〜。

リノヴェーション喫茶


この数年はやりのタイプの店構えではあるけれど。ここに流れる静かだけど、やわらかく馴染みやすい空気こそ、ここの店主さんそのものなのだろうな。真似ではない「素」がある感じで。
お店の女性は私と同じくらいの歳でしょうか。東京から来たことを話すと「どの辺りを回ったんですか」と聞かれたので、「とにかくグルーッとひたすら歩きました。川沿いを中心に散歩するのがとっても楽しい街ですね」というと、「わかります!実は私は盛岡は地元ではなくて、この街を訪れてすごく気に入って、住みついちゃったんです。散歩する街ですよね。」とおっしゃいました。そんな彼女の気持ち、とってもよくわかる。
最近、市街地の北にそびえる愛宕山にギャラリーを開いたとのことで、行ってみました。こういう活動も最近のカフェっぽい。川沿いをずっと歩いて、山に入る急な坂道を上がったところに、

ぽつんと表れた小屋。廃屋になったホテルの離れを改装したとのこと。

お茶もいただけるので、畳でしばしぼんやり。

庭は草でびっしり。このむこうに広がる盛岡の街を眺め、再発見。

今こうやって書いていると、ああ、店は「その街に住む人」そのものであり、「街の姿」をつくり、「思い出」となるのだなあと北の空を見上げてしまう。
盛岡に多く見られる店は昔も今も、個性豊かでハイカラだけど豪著ではなく、実直で物静かな「姿勢」をもって成り立っているのではないでしょうか。そしてそこには「個人をクッキリと」出しつつも、お互いが尊重しあっている盛岡の人々の気質が見て取れるのです。光原社が何故盛岡で生まれたのかが、わかるような気がします。
そういえば盛岡は「スタバが潰れる街」との異名があるようで、繁華街に出来た2店舗は閉店したそうです。バッチリお化粧してキレイだけど「どこも同じ顔」のスタバに行かなくても、「美味しくて、和めて、話せて、センスある」それぞれ顔のある店がいくらでもあるのが盛岡。
でもドトールはいくつもあったんだよなあ。「スタバにいくならば地元の喫茶店へ行くし、リーズナブルと早さを考えるならドトールで」って棲み分けがされているのかなあ(イヤ、喫茶店だって充分安いよ〜)と、興味深いです。