フラッシュバックメモリーズ

実のところ松江監督作品はちょっと私には楽しめなさそうだなと感じるところがあり回避していた。例えば「ライブテープ」は”吉祥寺を演奏しながら歩く”様子をワンカットで撮ったという「手法」には強烈に惹かれたものの、(予告で見る限り)唄がどうにも苦手なタイプで…といった具合。大絶賛されている今作もあらすじだけを読むと「泣けるドキュメンタリー」であり、敢えて見ようとは思わなかった。しかし「3Dの実験的映像」としての評価を多く目にして、見ることにしたのだった。
3Dを視覚的特殊効果・装飾に使うのではなく、情報伝達手段を示す脳内特殊効果とでもいうような、感覚の装飾ではなく構造体として使用されていて、「手法」として素晴らしかった。「記憶」をテーマにした映画や小説など数多にあるけれど、具体的に構築してみましたっていう「まさに!」って感じだった。こうやって浮かび上がるGOMAさんのこれまでと今とこれからのレイヤーを通して、自分の過去が層になって立ち上がり、目の前の映像と重なった。記憶が自分を作り、記憶に縛られている。浮かぶ日記の言葉に胸がキュッとした。
GOMAさんのこれまでの写真から伝わる時代背景にはシンパシーがあって、特に90年代な服装とか!なんかあの頃の宝島&CUTiEを思い出すよな…。それと恵比寿MILKや新宿リキッドの長〜い階段とか出てくるからもー。そんな私の記憶もうまい具合に3Dの要素になった。
GOMAさんは世界最古の管楽器といわれるディジュリドゥというアボリジニの民族楽器(ジャミロクワイのあれだ!もしかして世代的に…と思ったらやっぱりこの楽器を始めたキッカケみたい)の演奏者で、楽曲はトランシーなインストだ。全編がそんな曲調で埋め尽くされることで、湿っぽくなりがちな物語に高揚感が生まれ、良い意味でのBGMとなっていた。彼がもしフツウのロックミュージシャンや唄い手だったりしたら、今回の「手法」に合わなかったと思う。メロディや歌詞によってベタな意味や軸の違う情報が加わってしまうからだ。それにああいう曲は聴き手をあまり選ばないように思う。好んで聴くジャンルじゃなかったり、特に音楽を聴くことに重きを置いていない人でも、一般的に案外受け入れられるんじゃないだろうか。またバンドは定位置で行える打楽器だから、3D映像にしても対象がぶれないのもよかった。アグレッシブなロックバンドだったら、視覚的にもきついんじゃないだろうか。なによりディジュリドゥの形態が3Dに適していた!記憶というレイヤーを貫く唯一の軸が彼の存在証明でもあるこの楽器なのだ。
こういった好要素が観客を選ばずに、純粋に映画の良さだけで広がったように思う。とかなんとか分析じみたことテキトウに書いてすみません。。。
最後のGOMAさんの表情が、彼のこれからを示していた。とても素敵な笑顔だった。