プレノン・アッシュが開いた扉

配給会社であるプレノン・アッシュが破産した報道には驚かされた。表参道の路地裏、CINECITYがあったビルが閉鎖されたままの状態を以前見かけて、その界隈はテナント募集の札ばかりの静けさだったからいや〜な気分になったことを思い出した。

90年代前半にモノゴトを吸収しまくった私にとっては、プレノン・アッシュが配給してくれた映画によって新しい扉を開けることを教えてもらった。
欲望の翼」は公開時に見られなかったけれど、香港映画についての一般的なイメージを一新する決定打となった「恋する惑星」。世界にはまだまだたくさんの扉があるのだ!あのときの鮮烈な驚き!なんて書くと大仰しいけど、ともかくフェイ・ウォンの愛くるしさとクランベリーズのカバー曲が頭から離れなくなった。

公開は94年、あの頃の空気にちょうど合ったのだと思う。邦題もとても素晴らしく、受け手側に”教えてくれ”、影響を与えてくれた。プレノン・アッシュの配給ならば面白いかも、と思わせてくれた。
【追記】朝起きてふと頭の中流れたのがこの曲だった。フェイ・ウォンのように部屋の中で踊ったよ。

それと!他のかたの一言見て思い出した、公開したの、銀座のテアトルシネマか!!こっちは閉館するじゃんね…


代表の方は「欲望の翼」を日本で公開したい!という熱い思いから会社を立ち上げたのではなかったかな。
ミニシアターの閉館が相次ぎ、今回のような一件があると、映画という文化の難しさに途方に暮れてしまう。”文化”が”産業”になるにあたって、映画は特にバランスが難しいようにみえる。映画を撮る気持ちもその映画を世に広めようとする気持ちも、「ただの映画好き」な人ってだけなのにね。音楽や文学などあらゆる文化活動はこの10年で特にそういった問題を抱えているけれど、映画って殊更に”ビジネス”って言葉が付いて回るようになってしまったような、そんな感覚がある。

そんな時代だけど、「白夜」や「ジャック・ロジエ作品」の配給を手がけたエタンチェのような会社も生まれているし、映画を見つけ、選び、見る楽しみはまだ無くなっていないと思いたいなあ。素晴らしい映画がどんなに作られたとしても配給してくださる会社と上映してくださる場所がなければ、届かない。プレノン・アッシュが権利を持っていた映画はどうなってしまうのだろう。「クーリンチェ少年殺人事件」みたくならないといいけれど。。。