楽隊のうさぎ

内気な中学生男子が吹奏楽部に入ったことで変化していく物語。淡々と平熱で語られる日々はやわらかで澄んだ光に包まれていた。いくつかのキーポイントとなる出来事もいくらでもドラマチックに仕立てられるのに、徹底的にさらっと見せていた。是枝監督なら仕込みを随所に効かせていやらしいほどにうまく泣かせることだろう。
吹奏楽部の顧問を演じるのが宮崎将で、これはなにかあるネと思ってたけど(失礼)それはなかった。けれど、死んだようなまなざしの彼(失礼連投ですみません)が伏し目がちの主人公に過去の自分を見いだし、彼にパーカッションを指名することで思いを託したのではないだろうか。彼の言葉には乗り越えた人が持つ強さがあった。生徒にあだ名で呼ばれてしまうような彼が楽曲を自作したことは恐らくは意を決した故であり、指揮を終えた瞬間の表情に、これは彼の物語でもあると思った。
そしてなによりも、ラストの主人公のまなざしと声色の響きはいまも心に残っている。そういえば映画的な動きが抑えられた代わりに印象的だったのは、彼らの「まなざし」だ。子供の、先輩の後輩の同級生の、大人の、まなざし。
過度に語らず、行間の空気を描く演出は鈴木卓爾監督ならではだろう。挑戦的ではあるけれど、もうちょっとなにかあってもと思わずにはいられない。タイトルでもある「うさぎ」は登場シーンはとても素敵だったけれど、その後ちゅうぶらりんな存在になってててちと疑問。。。鈴木監督ならもっとふくらみを持たせることが出来たように思えてしまう。
長い長いエンドロールで浜松市が後援し市民が多く参加、浜松に本社を持つヤマハが特別協力してることを知ってナルホド・・・!更に5年前に出来た市民映画館の館長の越川氏は以前、舞台である函館市市民が参加して作り上げた「海炭市叙景」を仕掛けた方と知る。かねてから映画化の話が持ち上がっていた原作の舞台は浜松ではないけれど、楽器の街であり吹奏楽も盛んなこの地で制作するのにはあっているのではと進んだらしい。街の風景もさしあたって「2013年の浜松」があるわけでもなく、ごくフツウの地方都市が映し出されていることで、時代を問わずに「日本のどこか」で普通に起こりうる話になっていた。
東京だとユーロスペースで公開したこの映画は「あのころの自分を思い起こす」ものなのだろう。ちなみに私も中学のとき吹奏楽部でフルートだった。しかし部員は少なく主立った活動もなく、ほぼ帰宅部状態に…。
【追記】この前の週に見たのですが、日が経つごとにカケラがキラキラと澄んで心に瞬いていることに驚かされます。