クローズ EXPLODE

ディズニーランドに行ったのにミッキーが「オレはニコニコ笑いたくねえ、写真撮られたくねえ!」とキレてたら、客は否ゲストは困惑するだろな。でもディズニーに興味ないけどミッキーの内面を見たいヒトもいるわけで。人気シリーズの「ヤンキー・ディズニーランド」という世界観のなかで、豊田監督は自分のやり方を貫いていた。現実味の無いテーマパーク化した校内だけではなく、彼らを待ち受ける明日を描いて、かつて彼の作品で見たあの顔この顔が目に浮かんだ。
しかし脚本を担当されていなかったのが残念。。。監督自身のまなざしはこれまでの作品のように主要メンバーに同化されることはなく、校舎の屋上から見下ろし続ける黒い烏の視点であり、客観的にひいていたように思えた。スクリーンからガッとやってくる、鮮烈でキレキレな爆発と切ない焦燥感やヒリヒリなアオさは無く、だからこうするしかないんだってヤンキーたちの暴走に心の震えが伴っていなかった。

校内の落書きに”しあわせなら手をたたこう”って何処かにないかなあとキョロキョロ探してしまった。板尾さんは最近いろんな役柄演じるけど、豊田作だとゲスいのばっかで最高。久々の鬼丸に驚いて滑舌良くなってるなあとか結局チンピラに逆戻りかーいなどと思ったり。KEEさんがアップリケつきエプロンでぼさっとした役柄なのが愛らしい。そんな豊田組パラレルワールド感も楽しいし、柳楽優弥には「誰も知らない」を思い起こしてやっぱりワルになっちゃったんだね…とか、東出くんはずっと逃げてた中心に漸く向かう気になったんだねと「桐島、」思い起こしたり。

鏑木旋風雄(てスゴい名前ダナー。。)は荒野でも九條でもないんだよな、その辺はイマドキの人物なのかもしれない。テッペンに屹立する誰かをつくりあげたくても、テッペンにひとり孤高の存在であろうとする人はもういない。孤独であろうではなく孤独をわかちあいたい。
「もう誰もさわらないで 不思議な張りつめた空気」・・・ふとdipの「love to sleep」が頭を旋回した。豊田監督の映画にはやっぱりdipが鳴っている。日本のロックにはヤンキーノリ(的成り上がり&仲間意識)がいつまでも蔓延しているけれど、dipにはそういうの無いなあと再認識する。

ファーストショット、ギィイイイイイイン!と響くギターの音に痺れ、時折斬りつけられるその音色にあーヤマジギターだなあと、泣く。「dip役」で登場という話にどどどういうことと震えていたけれど、自分の好きなバンドを起用するにあたってこの手があったか!実際のライブとはまるで異なる客層と盛り上がりが笑える・・・。淡々と演奏するステージ上はいつもと変わらないけど。ライブも多くなくライブビデオも無いdipの演奏が残るだけでも、ファンとしてほんとうに嬉しく思う。ギターを弾く手元がスクリーンいっぱいに映し出されたのにはもう、もう、もう!
でも全体的に、音楽のリズムと映像のリズムが噛み合っていないように感じられた。特に喧嘩のシーンに高揚感が生まれず、敢えてなのかなと思えるくらいに。
でも、もう一回見たいなーと思わせる楽しさがある。そういう意味で豊田監督流のエンターテイメントになっているのかも。この何作か見るの辛かったけど、今作はけっこう好き。