フランシス・ハ

ノア・バームバックの新作が劇場公開されると知ったときは本当に嬉しかった!しかし宣伝がやたらオシャレ女子映画として攻めているから*1モヤモヤしたけれど、主人公と同年代に的を絞っているのだろうなと思うし、ああいうわかりやすいキーワードないと取り上げてもらえないだろうし、何よりもそれでヒットして次回作も無事劇場公開されるならば嬉しい。


で。久々に彼の作品を見ると、ノア・バームバックさん45歳の視点が、この数年の歳月を経て随分変わったのだなあとしみじみした。辛辣な物言いでこちらを突き放すシニカルで冷めた切り口だったのに、落ち着いたあたたかなまなざしで主人公が描かれている。スタイリッシュな映像でNYのイマドキの若者文化を描いているから、正直ちょっとうろたえてしまった。
そしたら主演のグレタ・ガーウィグは現在のパートナーで共同脚本とな!元の奥さんはジェニファー・ジェイソン・リーですよ。。。31歳の彼女から受け取る若々しい感性は新鮮で、新たな扉が開いた感じなのかなあ。生き生きと瑞々しく力強いパッションが彼の心を動かした、といえるのだろうか。彼女にメロメロなんだろなあ。

モノクロで撮影され、パッパパッパと早急に転がるように展開する物語は、かつてのあの頃を回想してるみたいだ。場面場面だけで構成されて、線が描かれないのは、まるで記憶の中の出来事を思い出してるみたい。私何やってるんだろってトボトボトホホ、あの瞬間のあれやこれや、フランシスが思い出してるように私もほら、思い出す。
30手前にしてどうなる私?!な設定だけど、フランシスはダンスという自己表現手段があり、良き友人と理解者がいて、実家に帰れば幸せを素直に感じることが出来る。だから、何にも手に無く路頭に迷うほどホントにドン詰まりではないのだよな。ヘタなコト言っちゃったりもするけど、コミュニケーション能力はそれなりにあり、だからこそ理解者がいたわけで。(こういうとき私はついついイー二ドを思い出してしまい、ほろりと泣いてしまう。)

NYの街に暮らす彼女の生活は、"NY"という記号付の「部屋=ベッドルーム」が中心であり、NYの街そのものの血潮が感じられなかったのは、iPhoneサイズのテリトリーをそのまま映したからなのだろうか。デヴィッド・ボウイの「モダン・ラブ」疾走もなんかこう、そこへ繋がるシーンと心象と街と曲がリンクしてなくて、”「汚れた血」をやりたいんです”って取って付けた感が強かった。
それよりもなんとも強烈で驚いたのは「ドルリューの楽曲」で、流れるとフッと意識が目に映る場面から離れてトリュフォーの映画を生きてしまう。なもので、やってみたかった気持ちはわかるけど効果的なのかイマイチわからない・・・。「緑の光線」なシーンだとか、「●●なシーン入れちゃいましょうよ」なんて膨らんでいったのかなあ。

ラストシーンは気が利いてるし、シーンの移り変わりがウマいなあと思うけれど、今ひとつ気持ちよくノレ無かったことについて、考えてしまう。フランシスが両足で歩みだした先の希望が眩しい?私はもうとっくに若くないから?かといって年長者ゆえの見守り精神をも持てず、単純に同族嫌悪だとしたらオソロシイ。。。斜に構えた視点でコミュニケーション不全のまんま歳を取ってしまった私。開き直りか!(10/12追記:「わかってらっしゃる先輩」であったノア・バームバックが、私よりずっと年下のグレタ・ガーウィグと共に作った映画に、今の、現在進行中の、空気を感じたのだ。それは私が知らない感覚だった。彼女の屈託の無さが羨ましい。)


そして本作、なにが一番ビックリってディーンさんとブリッタさんですよ*2。。。

(10/13追記:コメントに書いたのですが、ノア・バームバックといいディーン・ウェアハムといい、時間と出逢いが解決することがあるのだな。不器用であっても、自分を取り繕っても、真っ直ぐで一生懸命にダンスする!時代は変わったって思わされたのです。)

*1:しかし上映館がユーロスペース・・・。往年の渋谷ならばシネセゾンだろうねえ

*2:ディーンさんもデーモン&ナオミさんへの恨みはらさでおくべきカー!なジメジメしてる人だったはずなのに、若く美しいブリッタさんに出逢ってLUNAに入れちゃうわ、解散してデュオ組んじゃうわ、常にいちゃついてる感じでオシャレファッション誌飾っちゃうわでホントに口あんぐりなんですけど、今作でも楽曲提供し遂には・・・ってねえ、あんた何やってんの・・・