test pattern [nº6] : Ryoji Ikeda と「Red Bull Music Academy」

午前中にスパイラルホールにて池田亮司の作品を見に出かけた。これはRed Bull Music Academyという企画の一環で、ネット上では「2時間待ち」だのなんだのと目にして、イケダリョージでそれっていったいどうなってるんだと行く前から驚いてしまった。金土はなんと24時間(!)入場可能なので、今朝早めの時間帯に向かったらそれでもちょっと待ったのでした。場内が狭いし、ぎっちり人を入れるわけにもいかないから必然待ち時間が発生するわけですが、、、。

作品自体はこれまで通りのもので、サイン波をピキーッと走らせ重低音がドゴーッと響き、床面に黒白黒白な視覚効果が流れます。「白と黒」、「0と1」、「YesとNo」。2006年の「C4I+datamatics[prototype]」、2009年の「+/− [ the infinite between 0 and 1]」、2012年の「datamatics[ver.2.0]」と数年ごとに思い返すと、研ぎ澄まされていることが体感できる。


ニューヨークのタイムズ・スクエア池田亮司の「test pattern」が上映されたこの企画は、2012年から継続しているプロジェクトで、毎月違う作家の作品が上映されているそう。これを見たときに、CORNELIUSPanasonicのキャンペーンで渋谷駅前ビジョンをジャックした企画を思い出したのだけど、あのときの映像はもう削除されていた・・・。あれ、2010年なのだよね。

現代美術館で見たばかりの「4Kなダムタイプ」は映像が尋常でなく美麗だったけれど、今回床面に映し出されるパターンは、白と黒以外の赤と緑も見えてきてしまうので、比べてしまうのは酷であり別物としても、ちょっと勿体なかったかなあ。となるとやっぱり、技術面との更なる進化は可能なわけで。ワクワクします。

それにしてもですよ。池田亮司のライブだのなんだのってかつては「いかにも理系な男性」ばかりな印象だったけれど、今回は驚くことに「若い女の子が友達数名と自撮り」だの「子供連れ」だの、2時間待ちというのも含めて「エンタメ化」したんだなあって驚愕させられた。ICCで展示した、坂本龍一/高谷史郎「LIFE - fluid, invisible, inaudible ...」を思い出したのだけど、あれとも雰囲気が異なってた。2007年だったから、随分前なんだなあ。やっぱりSNSの影響を痛感する。思えばスパイラルホールといえばかつてダムタイプが公演を行った場所であることを考えると、その意義も含めて、時代の変化を感じてしまった。


それから表参道の路地を明治通りに下っていった一角で「2014 Culture Fair」が開催されていた。日本各地からのレコード屋によるレコード・フェアやトークなどが展開されていて、とても楽しかった。祝祭感があって、フジロックや朝霧などのフェス文化の延長線上な雰囲気。そこで早瀬優香子の「amino co de ji」を見つけてワーイと購入。出店してたレコ屋さんのお名前失念してしまいごめんなさい。15歳のころ出逢って以来その空気に浸ったまま過ごした私の10代を象徴する大好きな一枚をいまここで。感慨深いナア。

会場の「Ba-Tsu Art Gallery」って、あのBa-Tsuだよねえ。今世田谷美術館で開催中のロシア・アヴァンギャルドポスターのコレクターである、松本瑠樹さんが創業した、あのブランド。


そもそも、今回の企画「Red Bull Music Academy」とはなんだろか。

レッドブル・ミュージック・アカデミーは若く才能溢れるアーティストたちを支援する世界を旅する音楽学校である。1998 年のスタート以来、ベルリン、ケープタウンメルボルンバルセロナ、ローマ、サン・パウロ、ロンドン、ニューヨークなど世界各地でフェスティバル、ワークショップ、レクチャー等を開催。前衛的かつ創造意欲に溢れるクリエイターたちのプラットフォームとなる機関・団体として、世界中にネットワークを広げ、その存在を築いてきた。  http://www.redbullmusicacademy.jp/jp/about-the-academy

16 回目を迎える今年は東京で初開催となったそう。お金のかけ方が違うわーと思ってたけど、こういうことだったのね。
こんな世知辛い時代にありがとう。こと日本において、文化的な活動に対してこんなふうにお金をかけることは今後ますます減るだろう。だから意識を持って認知されないと瞬間的消費で終わってしまうことを危惧してしまう。
ちょうどタイムリーな話題として「大阪ヨーロッパ映画祭、今年の開催見送り」のニュースがあった。「1994年にスタートし、欧州の日本未公開作や過去の名作など、これまで約400本の映画を紹介してきた」映画祭に対して、文化事業費の削減を進めている大阪市が撤退した影響が大きいようだ。
行政にも民間企業にも余裕はなくなり、わたしたちの暮らしも厳しくなる。最低限の状況で生きるためには音楽や映画や美術などは不必要だろうか?いや、だからこそ必要な存在なのだ。


今回のイベントは大々的に街に広告が打たれ、なんなんだろう?と実のところよくわからないまま開催されていて、でも知ろうと思って進んでみると想像以上に広がってる感が楽しく、こういうのって最近欠けてた部分とも思う。ただ、ヨーロッパ映画祭のことも含めて考えると「一部の人だけが楽しむことにお金を使えない(=享受できない人からクレームがくることへの恐れ)」が蔓延している状況下で、如何に一般の人も巻き込みながらアプローチするかがポイントになのかもしれない。そう思うと、池田亮司の作品も「なんかオモシローい」ってSNSにアップされる状況も必要なのかなあ。池田亮司のように消費されることがない強度を持つひとだから、可能ではある。
Red Bullが続けているこの試みが、「今年2014年に日本で開催された意義」が来年以降にも引き継がれていくことを願っています。

伊藤ガビンさん曰く
システムの問題というよりも、自主規制という印象ですね。作る前に「どうせ無理だろう」と諦める。今回行われているものも、普通は無理だと思って誰もやろうとしなかったことが、実際にできている。やっちゃうとどうにかなるんですよね。そんな風に、僕らが出した突拍子もない案に対してRBMA側が真面目に考えて受け止めてくれて。まだまだそういうことが出来る余地があるんだなと思いました。
日本でも、80年代には、企業が文化的なものに対してお金を出すメセナ活動がありました。そういう機会が、今まで忘れちゃうくらいなかったんですよ。「これ元とれるの?」っていう意見もネットで良く見るんですが、レッドブルが考えているのはそういうことではない。RBMAによってインパクトは残すことができたと思うので、今後追随する企業でもいいし、また事件が起こったらいいなと思っています。
Red Bull Music Academy Tokyoの舞台づくり 〜 隈研吾 × 窪田研二 × 伊藤ガビン(ボストーク)が語った」
http://www.redbull.com/jp/ja/music/stories/1331688696842/rbma-reception-talk-show