THE COCKPIT

6月5日金曜の夜。レイトだったので、馴染みの喫茶店に夕ごはんがてら寄って店主さんに「このあと見に行くんですヨー」って言ったら、「そうなんじゃないかなーと思ってました」とニヤリとされた。店主さんは一足先に見ていて大絶賛していたのだった。


会場はユーロスペースなんだけど、いつもと全然違う客層!歳下のiLな男の子たちも多くって、こんな雰囲気もいい感じ。
で、あっという間の64分。ホンット面白かった!最初っから楽しくってワクワクした!ウワーって瞬間だけじゃなく、だらりとした時間(それこそが楽しいのだよね)が流れてたり、ジャムって生まれてく広がりにハッとした。創作行為とは無関係な仕事だって、結局のところ通じるものがあると思う。

冒頭のフレームワークで、あーこのタイトルってそういうことか!と震えた。ワンルームという狭い空間ならではの切り取り方がスゴイ!がらんとなんにもない部屋は今の若者っぽいなあー。んでラストシーンの横移動!川沿いのこの風景!!! 10年後見たら随分変貌してるんだろうな。
となると、2015年東京の建築/風景の視点で見てもオモシロイし、フィクションの脚本では描けない、20代の若者の日常の記録としても素晴らしい。(後で知ったけど、がらんとしてるのは引っ越してすぐだったからだそうで……)


で、やっぱりこれは映画なのです。ものすごく。
単純に「好き」な対象を撮りつつ、批評の視点で鋭く切り取り、偏愛に終わらずに他者への敬意と自身の技術力によって「楽しいぞこれは!」って気持ちをスッとすくいあげ、的確な編集で緩急付けつつキュッと締め、観客は「面白い!」って声を挙げる。
すごくシンプルで豊かな映画だなあ。


「平成生まれの」(!!!)ヒップ・ホップなミュージシャンである彼らがひとつの楽曲を作り出す過程を描いていて、和気あいあいとしつつも、何処か距離感があった。しかしその距離感が縮んだり、時に停滞しながら、パッとスパークしてまただらりと続いていく。さっき”ジャムって”と書いたけども、90年代にスチャダラやLBネイションらに感じていた、いつも一緒で気の合う「楽しい仲間」たちってのが希薄だなあ(そういうのがイマなのかな)と思っていたら、彼らは監督の要望で初めて一緒に曲作りをしたらしい。

この映画のなかではじめて一緒に曲づくりをしてもらえないか、というオファーをしました。ふたりは年齢もすこし違い、ラップのスタイルも違うのですが、自分に自信を持って自分のやりたいことをやりぬく、という方向性は共通している気がするし、そうやりぬく強さが魅力で、もちろん、やっていることそのものもかっこいいです。
http://www.webdice.jp/dice/detail/4718/

そしてこちらのインタビューもよかったです。

退屈な時間は絶対に必要なんですよね。実際に現場では、とくにOMSBがトラックをつくっている時間帯には、みている側からするとおもしろさと同時に、言ってしまえば退屈さだって当然あるわけです。それはまったくネガティヴなものではなくて、ものをつくる行為のプロセスに必要不可欠なものなんだと思います。


40分版とか80分版とか複数のヴァージョンをつくってみたんですが、64分が一番面白かった。80分版は、あえていうなら、映画としての正しさや記録のリアリティーみたいなものは濃いけれど、でもなんだか長いというか、ちがう。その長さは、ヒップホップとしてちがう、と思った。
http://www.nobodymag.com/interview/cockpit/index2.html

「(退屈は)ものをつくる行為のプロセスに必要不可欠」って発言はもしかすると、スチャダラが土台にあるやもしれぬが(「さんぴんキャンプ」が小学校のときだったそう・・・で・・す)、うん、すごく同感。今の世の中は退屈とかプロセスを端折ろうと躍起になってるように思う。


それと「映画としての正しさ」が「ヒップホップとしてちがう、と思った」ってトコが、スゴイ!こんなこと言える映画監督いないよ!そして、三宅監督自身がこういうことを言える視点を得た、ということでもあるのだと思う。「playback」は自身より上の世代を背伸びして捉えようとしていたし”カッコイイ映画をつくるぞ”感に満ちすぎたところが実は苦手だったけど、「the cockpit」は監督の血肉が知識と伴い、ガチガチさが抜けたところが好みで、変化を感じたから。”結果として”カッコイイ映画になっているし、幸福感に満ちていて、でもそれだけではないところも良いなあ。

恵比寿映像祭で見た「無言日記」はほんとうにものすごく面白くって、衝撃的だった。
http://d.hatena.ne.jp/mikk/20150314
あのときに得たものを更に広げている三宅監督のこれからがもっと楽しみです。