「真田濠」と「新宿歴史博物館」

時折明るくなるもののどんよりした重い雲が立ち込める、真冬の空。赤坂見附から散歩出発。赤坂プリンスホテルは解体され、新たな超高層ビルになっていた。こうやってさらっと変貌してしまう東京の恐ろしさよ。
ニューオータニの脇、清水谷公園前は工事柵で覆われていた。昨今のゲリラ豪雨対策で、雨水を一時的に貯めた後に川に放流する工事だという。赤坂見附の交差点は交通量が非常に多いけれど完全に谷間なので、そりゃあ冠水するよなあ。首都高に沿う弁慶濠の水源は雨水と井戸水だと知って驚いた。清水谷公園もそもそも湧き水があったことでその名が付いたらしい。
その先西へ曲がると急な坂。江戸時代、このあたりには紀州徳川家尾張徳川家、井伊家の屋敷があったので「紀尾井坂」というらしい。
風景は次々に変わるけれど、長い歴史の名残を見つけるのは楽しい。
今日このあたりに来たキッカケはというと、地図を眺めていて、四ツ谷駅丸の内線ホームから見えるグラウンドが「真田濠」と名付けられていることに気づいたからだった。初めての一人暮らしで通勤に毎日通り、息をつく場であったあの風景が、幾度も歩いたあの道の淵が、まさか「真田」と云うなんて!



この深さ!確かに石造りで覆われ、堀っぽさがある。そういえば上田城の堀跡も、今は高校のグラウンドであったなあ。

江戸城の惣構えの中でいちばん標高が高い台地上に、最深部で13メートルも台地を掘削して水堀にするという壮大な工事が行われた。それが真田濠である。真田信之と息子の信吉・信政らが工事を担当したことから、この名が付けられた。江戸城の最大の弱点を掘削し、最重要の防御機構を構築するという難工事を真田家が担わされていたことになる。江戸城の惣構えの最後の難所を完成させたのが真田家だったのだ。工事を担当した大名の名が冠されているのは、江戸城の外堀の中でも真田濠だけであり、これも謎となっている。
http://blog.goo.ne.jp/reforestation/e/81c67492243ad222dc5adbfa67e3821c

真田信之だけではなく、仙台の伊達政宗や米沢の上杉定勝(景勝の息子)など錚々たる大名が参加していたようである。
http://blog.goo.ne.jp/reforestation/e/b60b120e3616d73d66131f4afd4ddd1a

まだまだ「真田丸脳」冷めやらずなだけに、もう、もう、泣く・・・!何この因縁めいた話。
昌幸と信繁の想いをしっかりと受け止めて生き延びた”信幸”兄ちゃん、、、、ううううう。


んでもって、なんでここが今大学のグラウンドなのかという経緯を調べると非常にむううんな話なのですが、これは敢えてここには書きません。



そのままテキトウに歩いてて通りかかった新宿歴史博物館。区施設だし内容どうだろなあと思いつつ入ってみたら、すっごく楽しかった!新宿区さん侮って本当にごめんなさい。たった300円なのに、素晴らしき場所じゃった。
新宿の歴史を辿る常設展は、さすがに歴史深いだけに驚きと発見が多い。展示された写真や絵地図が、頭の中の新宿の風景と地図と合致するときの楽しさったら!近代の考現学的な展示も興味深くって。昭和初期の新宿〜新宿三丁目の地図も食い入るように見た。シュウマイの早川があったよぅ!とか。伊勢丹の西側は都電車庫だったのねとか。映画館がいっぱいあるなあとか。(武蔵野館!)都電の現物や文化住宅のセットあるのもわああい!と浮かれてしまった。勿論語られていない部分もあるけれど、区施設でこれほどの内容ならば文句ありません。
そして所蔵資料展「絵双六ワンダーランド」は可愛くて身悶えしっぱなし!時代によって描かれる世界が変わっていくのもナルホドで。とにかく絵柄がカワイイのッ!乱歩な少年探偵団なのとかショウチャンなアレとかもうもうもう・・・・(涙目)所蔵資料展だけならば無料ですってよ、太っ腹!
http://www.regasu-shinjuku.or.jp/rekihaku/0221/93553/


四ツ谷は地名の通り、谷が複雑に入り組む地形で歩いてくと風景の変化が大きい。

手前の墓地、密集した家屋、遠くに見える都庁の2塔。「the スリバチ」の向こうには灰色曇天が重く立ち込めていた。