「泳ぎすぎた夜」

15日日曜日。朝からウチでダラーっとしてたところ、14時になってハッ、映画見に行こう、とポケットにサイフとスマホ突っ込んで渋谷に向かって(イメフォだからウンザリするほうの渋谷じゃないのもよかった)、サクッと見てきた。79分のささやかな、でも豊かな作品でとても良くって、ふわあああっとした気分のまま駅のデパ地下に入って、柏餅お土産に買って帰宅した。ああ、なんて気持ち良い休日。


予告がない回だったので、開演時刻に場内が暗闇になって目が慣れないうちに、視界いっぱいに白い雪が舞ったから、それだけでもう胸がぐっとなって吸い込まれた。
とにかく、たから(鳳羅と書く)くんの一挙一動表情が愛らしく、奇跡かのような瞬間が幾度もやってくる。子供映画のそういうところはある意味ズルいんだけど、本作は作り込まずに終始引いた視線なのが良かった。監督のドヤ顔が浮かぶよなキメキメなショットでもなく、たからくんがたからくんとしてスクリーンの中ですうすうと呼吸をしていた。
階段上の窓とか(「息を殺して」の監督だけに、不穏なアレかしらと思ってしまう)、犬とか、オオッと震えるところは多々あるんだけど、鼻息荒くないのが心地よくて、それは監督の品性もあるだろうし、監督が2人だからエゴにならず、客観的な面がでるからだろうか。
舞台である弘前は数年前の夏に訪れたことがあり、街中あるきまわって、いい街だなあってまた行きたいなあって思ってたのもあって、嬉しかった。ヒロロとか中央弘前駅とか。たからくんとともに弘前(真っ白の世界の!)をまた歩くことが出来た。


終演後、両監督と諏訪監督(「ライオンは今夜死ぬ」もよかった。もう一度見たいな。レオーとたからくんの共通項など言及していたけれど、「ユキとニナ」の話はなかったです)とのトークがあった。
そのなかで「監督が2人というのはどうやってつくるのか」との問いに「映画を作る上で気にするところがお互い違った」「自分でこう作ろうと決めつけずにしていたから対立しなかった」という返答になるほど・・・。両監督はお互いに敬意を示し、その姿勢が映画作りに表れているのだな。たからくんに対しても、弘前の自然に対しても。
「(彼の反応を見るに)たからくんも自分で映画作りに参加していた」「ドラマをつくろうとはしなかった」「動物を撮るように、たからくんを撮った」などハッとさせられっぱなしで、終盤の「撮影中周囲の環境と”対話”した結果、奇跡のような風景に出逢えた」という発言が腑に落ちた。「」内の発言については私の記憶に拠るため、誤認識があったらごめんなさい。 見終わった直後のふわあああっとした静かな昂りを、スッとすくってくれるような気付きに満ちたトークだった。

たからくんの夢のような冒険譚だけど、絆創膏とか洗濯物とか帽子とかで示す描き方もいいな。目が覚めて、指先の絆創膏や干してある自分の上着を見て、なにを思うのかな。
現実からちょっとだけ浮かび上がった、でも現実と地続きの、ちいさな掌につかんだ雪のような、なにか。サウンドデザインも良かったなあ。それと、80分を切るという上映時間の短さも今の私にはよかった。
今もふと、2匹の犬にわんわん!て無邪気に吠えるたからくんの笑顔を思い出す。
いろいろ胸いっぱい。

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