水戸市民会館はみんなのいえ

水戸駅に降り立ったのも7年ぶりだろうか。北口へ出ると西武跡地はマンション建築中だった。駅前からの大通りは緩やかに上り続ける坂道に商店が並んでいる。記憶のままの店もあれば、マンションに変わった一帯も多々あったしコーヒー店が増えたことに苦笑した。日曜の昼間、人通りは老若男女けっこうあり、昨今当たり前な中心市街地の空洞化はそこまで強くはないと思えた。


水戸芸術館へ行こうとしたところ、向かい側に新しい建物が見えて、なんだろうと考えて、そうだ伊東豊雄設計の市民会館が出来たんだったと思い出した。



落ち着いた外観。
中へ入ると、明るい!そして折しもクラシックの生演奏会中。たくさんの人が鑑賞する館内の雰囲気の心地よさ。
入り口ホールは4層を貫く吹き抜けで広々とした大空間。エントランスでありながら多目的な使用が可能な「広場」として機能していた。


太い木材の柱で組み立てられた構造が印象的で、国立競技場で使えなかった方向性をこちらにという意図をちょっと感じてしまったり。

建物全体が大きな公園のよう。至る所にあるオリジナルデザインのベンチや机には洗練された印象がある。歓談する家族がいれば勉強する高校生もいるし、こどもが靴を脱いで遊ぶスペースもある。いろんな機能を持った全天候型のみんなのひろばとして既に馴染んでいるようだった。ただし、概ね学生の勉強の場になっているのはちょっと勿体なくもあり。




本来はコンサートなどの催しを開催する大ホールが施設概要であり、市民が予約して使う会議室などの従来機能を持ちつつも、多様性を求められる時代ゆえ、具体的な用がなくてもふらりと立ち寄る空間を意識していた。
伊東豊雄は昨今、せんだいメディアテーク(2000年)ぎふメディアコスモス(2015年)など地域のコミュニティスペースを多く手掛け、その背景に行政からの要請=時代の傾向が重くのし掛かるのだけど、都度行政間で問題が発生するなかで、使用者である「市民」は本当は何を望んでいるのかを汲み取りながら、プロジェクトごとに軌道修正を重ねていると感じられた。帰宅後以下のインタビューを読んで、諸々納得。
casabrutus.com





この建物は水戸芸術館京成百貨店のあいだに位置している。ハコ前提だとタコツボ化するのが常だけど、この3つ全体を「MitoriO」と名付け、各役割を立たせながらも市として一体化する目的を明示していることが良い。
新市民会館周辺エリアの愛称が「MitoriO」に決定しました(文化交流課) - 水戸市ホームページ
(水戸・トリオでミトリオ!)(何故世の中にはダジャレネーミングが蔓延るのか)




お向かいの水戸芸術館磯崎新設計、1990年竣工がうなづけるポストモダンバリバリの建物。



「アート」というものが一般的には「敷居が高い」時期であり、磯崎さん自体の傾向も相まって「荘厳」なイメージ。


日本を代表する建築家による建物が、竣工時の時代背景を感じさせながら並んでいるというのは、面白い。
https://www.mito-hall.jp/event/pdf/event_2023112901.pdf
こんなイベントをやるくらいに意識的なのも良いことだ。



そういえば。
石岡瑛子展を見た茨城県近代美術館は1988年竣工 吉村順三による設計で荘厳で重厚感ある落ち着いた建物。(写真撮ってなかった・・・)この向かいにあったのは茨城県立県民文化センターで、1966年竣工 芦原義信による設計。現在はネーミングライツで「ザ・ヒロサワ・シティ会館」と呼ばれている。

建物は道路より数段高い場所にあり、広場にはモダニズム建築らしさがある。


茨城県民文化センター−芦原義信建築作品


水戸駅を挟んで南側はモダニズム建築が向かい合い、北側にはポストモダニズム建築が向かい合う街という構造は面白いな。


街並みの美学 (岩波現代文庫 学術 49)
1979年刊行の本作で芦原義信は「都市景観」の重要性について提起し、日本の公共空間の在り方を説いていることを思い出すと、伊東豊雄が近年『これからの公共建築は、機能で分割された空間によって人の活動が制約されるのではなく、「みんなの家」のように利用者主体で考えられ、あらゆる人が、まるで自然の中で過ごすように自由に活動できるものでなくてはならない』と語ることは時代の大きな変遷のなかで辿り着いた、「2024年現時点での着地点」に思え、水戸市民会館で通りすがりに音楽を聴いたり、友達と喋ったり、勉強をする子どもたちに「公共建築はみんなの家である」感覚が染み込まれて大人になった世の中は、今よりもうつくしいのではないか、と希望を持つのだ。
www.arttowermito.or.jp

公共建築は継続使用と維持管理が大切なのはいうまでもなく、その費用捻出は今後一層困難なわけだけど、市民が行政任せではなく「我が家」と思える感覚を持って使うことが当たり前になれば、芦原義信が憂いた日本の都市景観は良い方向へ変わるだろう。
水戸市民会館はハコものではなく、水戸の街の中の「みんなのいえ」なのだ。



storynews.jp

建築家は自身の建築物に込めた思想を裏付ける「言葉も達者」でなければならない。それは公共建築であればコンペを勝ち取り、世間を納得される「誘導」でもある。以前より私がこの場で何度か記していることがある。建築物には時代の流行りや世論が濃厚に反映され、建ったその景色が否応無しに時代を超えた共通認識として人々に刻まれてしまう。「私の暮らす街はどんな街か」「私はこの街の一員でありどう暮らすべきか」が自然と「刷り込まれる」こと、それが建築物。だから建築家はとても責任ある仕事だと思っている。



コロナ禍において外出自粛が叫ばれる中においても、休日は外に出ていたものの、遠方への旅は控えるようになった。それと同時に家族の状況や自分の体調の影響もあり、旅行が選択肢に上がらず、億劫になっていた。
「会いたい人に会おう」とY氏が言ったことがキッカケの久しぶりの旅。生活圏を離れ、特急に乗って数時間の街を歩き、出会うこと気づくこと。帰宅後、旅先で見たものを思い出し、考えること。日々の生活を続ける中で、時折必要な大切なことだなと改めて実感したのだった。


mikk.hatenadiary.jp
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これにて、久しぶりの遠足記録は終了〜。


【おまけのあれこれるるる】

シャッター半開きの電気屋さんで項垂れるビクター犬。