今夜、中津川沿いのあの店で。

早めに晩ご飯を食べ、涼しい風にあたりながら中津川沿いを歩きました。腹ごなしにもなるしね。
すると煌々と光る一軒の家がありました。

昼間にも通りかかったときは、びっしりと絡まる蔦が緑が濃く光り輝いていたところ。

40年以上前からこの地で、中津川を見守りながら続いている喫茶店なのでした
当初のオーナーである女性は退き、息子さんの奥様が切り盛りされています。美しく快活できもちのよい方で、一目見て惚れてしまうような女性です。
外に出ているアウトドアチェアに座って、ぼーっと川を眺めていました。傍らにはこの店の愛犬がすやすや寝ていて、水が流れる音がザザザ…とここちよく耳に響いてきます。風はさわさわ頬を撫で、ぽわんと光る緑の光が目に入ってきて、頭の中がサーっと白くなるような感覚に陥り、ああ盛岡に来てよかったなあとしみじみしたのです。



次の日の夜も向かいました。盛岡最後の夜にもう一度、この空間に身を置きたかったのです。また、外の席で。奥様はにこやかに「昨日も来たわねえ」と声をかけてくださいました。先客に中年男性がいらっしゃり、アコギをぽろんぽろんと爪弾いていました。ギターの音と川のせせらぎが静かに流れてきます。
しばらくすると、この店の奥が家になっているようでおじいさんが出てきて、犬を連れてお散歩に出掛けるところ、こちらに話しかけてくださいました。もう15歳?くらいの老犬でかなり弱っていて、目は見えないとのこと。足取りもヨロヨロとしていて、おじいさんは杖と声で犬を導いていました。「もうダメなんだよ、こいつは」なんて言いながらも、語り口からは家族の一員として愛していることが伺え、中津川のほとりで犬と過ごした年月が伝わってきます。

会計のときに、東京から旅行で来て明日帰るので、もう一度この店に来たことを告げました。すると奥様は東京からこちらに移り住んだそうで、しかもご実家が私の今の居住地と近いことがわかり、あの公園で必ずお花見をして云々と話が弾んだり。
「盛岡はどうでした?どの辺りがよかった?」と聞かれ、「中津川が縦に流れるこの街全体が、よかったです。ただ散歩するだけで、それだけでとても楽しかったんです。」と返した言葉はあまりに幼い表現だけど、ほんとにそうだから、それしか言えなかった。
そこへギターを弾いていた男性が「ボクは仕事でいろんな土地を訪れたんだけど、盛岡が気に入って居ついちゃったんですよ。この川の景色、いいでしょう?夏には夏の、季節ごとに良さがあるんです。」
なんとも不思議な気分。東京から盛岡に数日間やってきて、この店にいたのはほんのわずかな時間なのに、この店が歩んできた長い時間がギューッとやってきて、私も共に過ごしてきたような気がします。
もしかしたら私は盛岡に住んでいて、毎晩中津川を歩いて、ここでお茶を飲んでいるんじゃないかしら。

しあわせきぶんで店を後にして、空には月がまあるく浮かんでいました。