もう一度、久しぶりの食堂にて

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以前書き記したこちらのお店。4月にイートインを再開して喜んだ直後、「事情によりしばらく休業します」と突然お知らせがあり数ヶ月、改めて再開するとのことで早速伺った。
予約制のテイクアウトも同時にされており、「ごめんなさい、てんてこまいでお待たせしちゃうかも」と言われて「気にしないのでゆっくりで大丈夫です」と待っていると、次に入店して隣に座ったのは、店主に気さくに話しかけるほどの常連の女性で、私よりも年上でご近所に住んでいるようだった。屈託なく店主へ話し続け、その会話から店主のお母様が亡くなったことを知った。だから再開直後にまたお休みされたのか……。他に客はまだいなかったからなんとなく私も会話に入ってしまい、経緯をお聞きした。
「ガクッと来ましたけど、何か動かなきゃなって」


テイクアウト受け取りの客がやってきて「今日は娘がスイミングだから帰って食べるのよ」などと話している間、私の隣の常連さんが「この店でよく一緒になる家族客」の話をするのを聞き、「この店はこの街に暮らす人々の食堂なんですね」と店主に言うと「そうなんですよね、コロナになってテイクアウトを始めたんですけど、今までこの店に来たことがない人が買いに来てくれたり。小さなお子さんのいるお家や、高齢のご夫婦とか。ありがたいです。お弁当に1000円以上も出してもらうのは申し訳ないのに」


常連さんが言う。「良い素材で丁寧に全部作ってこの値段でしょ、安すぎるのよね。なのに店主は謙遜してばっかりで」
「店主さんのお人柄が伝わりますよね」と返答すると、この街に長年住む方ならではの話をしてくれたのだった。


「この場所は以前はトンカツ屋さんだったの。長年ご夫婦でやられていてね、丁寧な仕事なの。揚げ物なのに店内に油の匂いがこもってないし、ベトベトも全然なくて。私は揚げ物そんなに得意じゃないけど、ここのトンカツは食べてももたれないの」「ご夫婦の人柄もほんと素敵でね、大好きな店だったの」「でもね、奥様がちょっと認知症気味になってきて。だけどこれまでと同じようにしたほうが悪化しないだろうとご主人は接客をさせていたのね。ちょっとおかしいことを言ったとしても、客がフォローしたりしてみんなで見守っていたの」「そんなことができる店だったの。なにしろトンカツが絶品でみんな愛してた店だから」


「それは素敵な店ですね」と相槌を打ちながら、かつての店内を脳内で描いた。


「ところがね、ご主人が急に亡くなっちゃったの」「本当に急でね。それで閉店しちゃったの」「奥様は息子さんが引き取ったと思うけれど……今どうされているのかしら」


そんな顛末に驚いて、言葉に詰まる。
「その後にこの店ができたんだけど、大好きなトンカツ屋さんがあんなふうに閉店したからショックでね。しばらくして違う店になっちゃうなんて信じられなかった」「いつも店内がこぎれいだったから、居抜きで入っても染みついた匂いや汚れもあまりなかったんじゃないかなあ」「それでこの店がオープンして、どうだろうなあなんて食べにきたんだけど、とっても美味しいし人柄も素晴らしくって!」「嬉しくってね、この店にも通うようになったのよ」


今ここに至るまでにそんな素敵な経緯があるなんて!
「この店には前のトンカツ屋さんが作った空気が宿っていて、今の素敵な店主さんを導いたのでしょうね」というと
「そうね、きっと亡くなったご主人が店内のどこかで見守っているんじゃないかなあ」「この店のお母様もきっとどこかでお喜びになっているわよね」


私たちがそんな話をしている間、忙しく厨房を動き、客席を見ながら今必要なことを次々とこなしていく店主の美しい所作を2人で眺めて「すごいな〜〜」「惚れちゃうわよね〜〜」と言いながら待ったお食事は、一つ一つとても美味しかった。
生きていれば当然様々な出来事が起こる。身動きが取れなくなる状況もあるだろう。でも。人々の営みは脈々と続く。続いていくのだ。だから、自分が出来ることを続けよう。そして美味しいご飯も、それにまつわる出来事も、一つ一つが出逢いなのだ。