これは旅のひとコマじゃない

次の朝は青空が広がっていた。冬の薄くて高いところにある空。本日はまず犀川あたりからぶらつこうとバスを待っているあいだ左手を上げて指で丸をつくって空を覗いた。まじりっけのない青。
・・・もういちど行っちゃおう!と一転またしても21世紀美術館へ。

ピーンと張り詰めた純度の高い空気の中、手の届かないところに四角い青があった。見る場所を変えると青の明度が変化するのが楽しかった。
地下のプールの輝きったら!キラキラした光の帯に包まれる。頭上に白い建物と緑の木が見えた。ゆらいで浮かぶそれらには現実感がなくて何故かホッパーの絵を思い出した。彼の描線とはまるで違うけれど。芯がなくってぽっかりとした薄さがあって、光に包まれる多幸感とともに妙な不安感に襲われた。

何度も見に行くなんてそんなに素晴らしいのか価値があるものなのかと思われるかもしれない。改めて書き留めたいのはそういうんじゃないんだよということ、私が何度も見に行ったのは旅行という非日常のタイムスケジュールのなかに切り刻んだモノのひとつ、にしたくなかったからだ。ここで見たものは芸術というものではなく、帰り道ちょっと遠回りしてあの川でぼーっとしようとかあの家の生垣の花は咲いたかしらとかそういう日常のひとコマをふわっと浮き上がらせてくれる装置みたいなものに思ったからだ。ここで見たものはいつだって頭上にあるもので、その当たり前に付箋をつけてくれたんだ。(直島のアレはあまりにも異世界であるしね。)