たちばなの店先に思うこと

モネを全回見終え、次作は主人公が和菓子屋の娘なので続けて見ることにした。私の実家は戦前から続く和菓子屋なので、親近感があったのだ。店を始めた祖父は私が幼稚園の頃に亡くなったから、工場で働く姿を見たことはない。「餡子を炊くおまじない」は知らないけれど、父が餡子を炊く匂いや湯気は記憶の中にいつもある。子供の頃は工場に数人の職人さんがいたものの、いつの頃からか父1人で全て製造するようになった。

さっき和菓子屋と書いたけれど昔は洋菓子も置いていて、ショートケーキやプリンもあったし、カステラやバームクーヘンも作っていた。父からは「おじいちゃんはハイカラだったから、大正時代に県で最初にエクレアを出した店って有名だったんだよ」と良く聞かされていた。母曰く「おじいちゃんは朝食にバゲットとチーズとコーヒーを好む人だったから、驚いたわよ」
季節柄のことを言えば、今頃は店いっぱいにクリスマスケーキが並ぶ一年で一番忙しい時期だった。今思うと、それでもクリスマスプレゼントを用意してくれていたのだなあ。クリスマスが終わると和菓子屋モードに切り替わり、お餅やお年賀の用意で忙しくなる。12月終わりは店を手伝った思い出ばかりが浮かんでくるのだ。


カムカムで戦時中砂糖が手に入らず菓子が作れないエピソードがあった。そういえばうちはどうしたんだろう、今まで一切聞いたことがなかった。父に電話をしたときに「今の朝ドラ見てる?」と聞いてみると「ああ、たちばなさん」とご近所のような口調が帰ってきた。
「戦時中うち、どうしてたか知ってる?」父は幼少期ゆえ、記憶はほぼ無いと思われるが「スルメとかを仕入れて売ってたみたいだよ」ス、スルメ!祖父も店を守ろうと必死に頑張ったのだろう。
「おじいちゃんはセンスがあって、美術に詳しくて、そういう専門書をたくさん持っていたんだよ。それでケーキの飾りなんかも芸術的でオシャレで綺麗でね」「ほら、昔はバタークリームや、砂糖と卵白を混ぜたもので飾り付けをしたんだよ」「技術力も高くて、カステラなんて天下一品だった」「そうそう、マロングラッセ。とても手間がかかるんだけど丁寧な仕事でね」「県外からも注文がたくさん来たし、講師として今じゃ有名なお店に呼ばれたりしたんだよ」ホクホクした声色で父の思い出話が止まらなくなった。私は初めて聞く話ばかりだったから、そうなの、へー!と驚きながら相槌を打った。「でも僕は反発しちゃってね、今思えばちゃんとお菓子作りを教えて貰えばよかったよ」父は修行先に洋菓子ではなく和菓子屋を選んだのだった。


私は祖父が作ったお菓子を食べたことがないし、会話をした記憶すらない。思い出すのは入院したベットの上の、遺影とダブる表情だけだ。父がこんなに褒める味は、一体どんな美しい甘さなのだろう。そして田舎で育った祖父はどこで洋菓子と出会ったのだろう。新たに菓子屋を開業することになるほどのそのときめき、如何許りか。横浜で修行し地元に戻ったものの、店を出したのは隣町の商店街で、新たな地で当時珍しかった洋菓子店を開くなんてよほどの強い想いがあったはず。
祖父が亡くなり、長年父が菓子を作り母が接客をして店を続けてきた。そんな店を娘2人は継がなかった。和菓子屋の仕事に対して、おまじないにかかったように美しく甘い夢を抱くことなく、東京に行って好きなことをしなさいと言われて育ち、そのとおりになった。後期高齢者になった父は昨年からの状況であっても可能な範囲で店を続け、電話ではいつも新しいお菓子の構想を話してくれる。「考えるのは好きだけど、それを作るのはなかなか、ね」「この間は店にクリスマスツリーを飾ったよ」どの程度売り上げがあるのかまで聞かないけれど、父の生きる糧になっているのは確かだ。
そしてあと数年で創業100年を迎える。「mikkちゃんが手伝いたいって帰ってきてくれるような店にしなきゃね」と、父さん、い、今からは・・・親不孝でごめんなさい。


「カムカムエヴリバディ」第一部を見終わった。二部の主人公となる娘の設定を事前に知っていただけに、「とても幸せでみんなに愛される」安子ちゃんがどうやってそんな展開に至るのか謎だったけれど、徐々に疑問ばかりの行動をし始め、なるほどなと唸るしかない脚本だった。
安子ちゃんはもう餡子を炊かないのかな。戦争の不幸によって、「たちばな」は安子にとって呪縛になってしまった。幼い頃の「餡子のおまじない」は魔法ではなく呪文となって、鍋の底からぐるぐると安子をがんじがらめにしてしまった。私が私がって思い込みすぎて、大切なものを見失ってしまった。
私にとって実家が和菓子屋ということは誇りであるけれど呪縛でもあり、何より苦しい存在である。しかし朝、最寄り駅近くにある和菓子屋から漂う餡子を炊く甘い匂いは、見えない湯気と共に私を幸せな気持ちにさせてくれる。そして、何よりも嬉しそうにお菓子の話をする父は根っからの菓子職人であり、こんなにも時代が変わった中で今も店を続けていることはすごいと改めて実感する。でもそれはこうやって書き留めながらの今更で、直接伝えたことはないのだ。